日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間の活動を経験。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

佐々木瑞枝『何がちがう? どうちがう? 似ている日本語』

 さて、僕はすでに「日本語パートナー」のバッジを外していますので、このまま本ブログを廃墟にしてしまおうかとも思ったのですが、メンテナンスを怠れば容易に寂れてしまうことは目に見えていますし、それではちょっとこの記録の趣旨、すなわち「日本語パートナーズの活動を広く認知してもらう」という目標に反するかもしれません。

 ですので、今後はいよいよ個人的なブログとして運営することにして、「日本語パートナーズ」関連で役に立ちそうな情報をだらだらご提供できればと考えています。長ったらしくなるとは思いますので、ご興味のある所だけでもお付き合いください。

 

 で、いきなり本の話です。

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  今年の頭に発刊された本書は、類義語の意味の違いや使い分けについて説明している本です。

 と聞くと、同じような本を思い浮かべる方もたくさんあろうかと思います。確かに、日本語教育といいますか、パートナーとして活動する中で最もよく聞かれる質問のひとつは「これとこれってどう違うの?」という類いのものでした。またそうした専門的な立場でなくとも、一般の方が興味を抱く言語の側面というのは、たいていが使い分けか語源についての話*1ではないでしょうか。必要とされている、知りたい人が多い以上は書籍の形になることが多いのも当然というもので、僕が所有している(且ついま手の届く位置にある*2)だけでも以下のようなものが挙げられます。

 

気持ちをあらわす「基礎日本語辞典」 (角川ソフィア文庫)
 
ことばの意味―辞書に書いてないこと (平凡社ライブラリー)

ことばの意味―辞書に書いてないこと (平凡社ライブラリー)

 
ことばの意味〈2〉辞書に書いてないこと (平凡社ライブラリー)

ことばの意味〈2〉辞書に書いてないこと (平凡社ライブラリー)

 
ことばの意味〈3〉辞書に書いてないこと (平凡社ライブラリー)

ことばの意味〈3〉辞書に書いてないこと (平凡社ライブラリー)

 

 どちらもかなり有名なシリーズ(最初の2冊は元版の『基礎日本語辞典』として知られています)で 、類義語研究の論文を読むと高確率で引用されています。

 

 僕自身は国文学(正確には国語学)を専攻していましたが、学部の卒業論文のテーマは類義語の意味論的違いに関するものでした。すでに書いたことがあるかもしれませんが、具体的には「トツゼン」「キュウニ」「イキナリ」「フイニ」を例として違いを分析しました。それ以前にもレポートのテーマとして「トテモ」「スゴク」とか「ヤット」「ヨウヤク」「ツイニ」「トウトウ」とかいったものに取り組んだこともありますが、いずれにしても似た副詞の意味の違いというものに興味を持ち続けていました。

 研究と称するのも憚られる凡百な調べ学習ですが、調査を進める中では当然上にあげたような文献も参照します。ただ、その中で注意しなくてはならなかったのは、各論において「これは置き換えできない」とか「こう違う」と記述されている内容がどれだけの妥当性を持つかという点でした。類義語の研究においては、しばし置き換えが可能か否かという議論がなされますが、それを判断するのは他でもない論者ですから、読む人によっては「え、これも大丈夫じゃない?」となるような事態もけっこう起こります。

 逆に言うと、論ずる側や説明する側にとっても、そこで著す意味の違いが客観的な視座からも頷けるものであるか、独りよがりの説明になっていないかを振り返る必要があるということです。

 

 ここまでに挙げた文献はどれも国語学的な分析を成したものです。ということはつまり語彙の意味の違いを緻密に記述することを目的としているわけですが、果たして日本語教育の場において、そうした説明が必要かというと微妙なところだと思います。もちろん知っていたほうがよいにきまっていますが、それを直接、滔々と学習者に説いても仕方ないでしょう。

 卑近な例を挙げますと、「トテモ」「スゴク」の違いを聞かれたときに、僕はかつてのレポートで「『すごく』は対象の激しさを直接示し、『とても』はそれを話者の判断に基づいて表す。『たいへん』は、より客体化した形で内容を示す」という分析をしました*3。これが合っているかどうかはともかくとして、日本語学習者の知りたい「違い」はおそらくこうした「国語学的に正確なもの」では必ずしもないと思います。彼らにとっていちばん大事なのは、「どちらが丁寧か」「場面ごとにどう使い分けるか」という点だと言えるのではないでしょうか。

 

 何が言いたいかというと、日本語を教える立場としては、類義語の違いを深くまで理解したうえで、学習者にとって必要な範囲での説明を心掛けることが肝要だと思うのです。

 

 ここで紹介する本を書かれた佐々木瑞枝氏は武蔵野大学の名誉教授で、日本語教育を専門とされている先生です。本書以外にも日本語、日本文化、職としての日本語教師についての多くの著書をお持ちなので、他の本も大いに参考になることと思います(恥ずかしながら、僕はこれ以外に1冊しか読了に至っていませんが)。日本語教師の養成にも尽力されているそうで、YouTubeで検索しますと関連する動画を見ることができます。

 そうした専門の先生が書いているというところで記述の妥当性は高いと思いますし、説明が非常に簡潔に成されているのも、日本語教育においてどこまでの説明が必要か・どこまでの説明で十分かを見極める材料になるかと思います。見開きで1トピック、右頁は解説、左頁はピクトグラムによる図解という構成も見やすいです。

 また、これは個人的な趣味なのですが、書き込みのしやすい書面に仕上がっているのも嬉しいところでした。それだけ内容が少ない、解説が”薄い”といえば確かにそうかもしれませんが、73のトピック(=73ペアの類義語)が並んでいるのを考えますと、さらっと一通り読んで糧としておくのが得策と言えるでしょう。

 目次を見ると「あがる」「のぼる」のようにかなり難しいテーマ*4から、「コツ」「奥の手」のように一見して説明できそうなものまでならんでいます。が、いざ違いを聞かれてみると歯切れのよい説明ができないというのはありがちな話です。

 

 何度も言うように、全体が簡素な説明にとどまっていますから、読んでいて疑問とか説明不足を感ずるところもままあります。表面的には(つまり学習者に対しては)それでいいというところもありますけれども、自分で考えを巡らせ、ああでもないこうでもないと悩むのも一興だと僕は思います。

 

何がちがう?どうちがう? 似ている日本語

何がちがう?どうちがう? 似ている日本語

 

 

*1:うち、語源の話は言語学の世界ではあまり研究されることはありません。理由はおそらく根拠が見つけにくいということでしょう。「語源由来辞典」というウェブサイトはその道では有名ですが、けっこうトンデモな説も紛れていますので話半分程度に楽しむのがよいと思います。

*2:恐らく所有している本の数は3000くらいで、情けないことに、まともに手に取れる状態にあるのはそのうち半分もありません。せめて貴重書類だけでも綺麗に陳列するのが将来の夢です。

*3:一重鉤を二重鉤に改めた(「」⇒『』)ほかは当時のレポートそのままの引用です。これだけ見ても、大学3年当時の文章力の低さがうかがえるというものですね。今をもって、という議論はひとまず措きますが。

*4:かつてこのテーマを選んだ学友は、その難解さから途中で投げ出して「とりあえず」「いちおう」に鞍替えしていました。