日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間の活動を経験。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

滞在38日目~43日目:熱にうかされる

 金曜の午前中に突然、喉の不調を感じました。考えてみますと、家にいる時はクーラーをつけはなしていますし、研究室でも風邪らしきものが流行っているのですから、順当といえばそうなります。養生しなければ、と思ったのはすでに遅く、午後から夕方にかけて猛烈な寒気に襲われてしまいました。

 家に帰って体温を計ってみますと、38℃ちょい。ふだんから36℃を超えることが稀な僕にとってはかなりの高熱でした。それくらいならまだどうにかなったかもしれませんが、みるみる熱は上がり、夜中にはなんと39℃台にまで上がりきってしまいました。

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  さすがに39℃を超えてきますと人間動くことができないもので、ベッドに横たわったまま起き上がるのも苦しい状態でした。食欲すら毫もわきません。結局この日はそのまま寝てしまうことにしました。

 

 土曜日。朝起きても依然として熱っぽさは残っていました。体温も前日の晩とあまり変わっていませんでした。しかし、前日の帰りがけにサリサリストアで購入した薬を飲んでいましたところ、どうにか昼過ぎくらいには37℃くらいにまで落ち着き、それなりに歩き回れるくらいには回復ました。食欲も戻りつつあり、健康に自信のあった僕は、この時仲間から頂いていた「きっと熱はまた上がるから、動けるうちに病院で診てもらったほうがよい」という箴言を無下にしてしまっていたのです。なんという驕りでしょうか。

 案の定、夜12時ごろ熱はふたたび39℃台にこぎ着け、日曜の朝になってもその脅威が収まることはありませんでした。

 繰り返しになりますし、わざわざ言わずともお分かりのことと思いますが、39℃あるともう何にもすることができません。日曜の段階では頭痛と咳もでてきていまして、咳をするたびに左側の頭部がズキズキ痛むのでした。さすがにこれは、と思った僕は、お休みのところ申し訳ないと思いながら、JFMの方(Mさん)にお電話をして病院への付き添いをお願い申し上げました。

 

 幸いにして市内の緊急外来がやっていまして、受付で事情を説明し、保険証書を預けました。入ってすぐのカウンターでは、いきなり血圧やら脈拍を計る機器が設置されていて、ひとりずつマンシェット(血圧を測るときに巻く、締め付けの強い布)を巻かれるようでした。

 座って待っていると、看護師らしき男性からスマホを手渡され、出てみると聞こえたのは日本語、日本人の医師でした。なんと電話上で簡単な問診を通訳してくれるというのです。すぐに金曜から熱があること、薬を飲んだがけっきょく効かず、今日に至っては頭痛や咳が出てきた旨を伝えました。

 

 通話中にMさんが到着され、すぐに奥の部屋に通されました。しばらく待っていますと、女医さんの問診です。いつからの症状か、具体的な症状は、頭痛があるとのことだが1-10でいうといくつくらいの辛さか、といった質問に、Mさんのサポートに頼りながら答えてゆきます。

 卒然、貧血の感覚が目の前に広がりました。立ちくらみと同じ感覚ですが、もう少しつらい。あまりに気分が悪くなったので女医さんのお話を遮り、椅子に座ったまま目を閉じてうつむいてしまいました。

 しばらくして、僕は自分が夢の中に入っていることに気づきました。Mさんが僕を呼ぶ声が聞こえ、目覚めますと、即座に「今なにがあったか覚えている?」と問われましたが、なんのことだかわかりません。あとで聞いたところによると、僕はこの時1分ほど気を失っていたようでした。女医さんによれば、高熱によって意識が途絶えたのだろうということでした。

 

 一度気絶したあとは、なぜだか気分が比較的ましになっていて多少なら歩けそうでした*1が、異常に手が痺れていましたので、持ってきていただいた車イスに大人しく座りました。そのままベッドに寝かされ、血液検査の段に至ります。

 大阪研修のくだりでも書きましたが、僕は注射が大の苦手です*2。幼少期には走って逃げだしたことさえあります。とはいえこの39℃の熱はいかんともしがたいので、針の1本くらい耐えなければならないと我慢を決め込みました。

 利き手ではない左手の甲に打ち込まれましたが、こちらでは「3, 2, 1……」と秒読みをするのが普通なのでしょうか。しかしどうにも様子がおかしい。針が刺さっているところを目の当たりにするわけにはいかないので、じっと堪えて終わるのを待ってみると、曰くちゃんと針が刺さらなかったとのこと*3。仕方なしに利き手の右手を差し出し、今度はどうにか成功。しかし血液検査の後にも点滴が控えているということで、針はそのままに。またも、気絶しそうな心境でありました。

 さらに困ったのは、利き手の甲に針があることで、「私はアレルギーがありません」などといった書類へのサインが困難になったことです。この状況下で書いたヘロヘロの文字に証明の力はあるのでしょうか……。

 

 ベッドに横たわり、ポカリ的な液体を右手から注がれたまま、次はX線の検査でした。点滴の管がぶら下がったまま恐る恐る上着を脱ぎ、正面からと側面からとの2枚を撮りました。

 医者だか看護師だか技師だかわかりませんが、たいていの方がまずタガログ語でまくし立ててくるのはちょっときつかったです。まして英語ですら病院で使われる言葉を理解できないのに、そもそも知らない言葉とあっては……。こういうときこそ、小学校~中学校まで夢だった医師の道を諦めたことが後悔されますね。

 

 どれくらいかかったのかわかりませんが、2時間くらいは待ったと思います。検査結果としては、インフルエンザではないかということでした。僕とMさんとで懸念していたのは、UP学内でも罹患者が発生したというデング熱でしたが、どうやらそれは陰性とのことで、一安心した次第です。血液検査の紙は頂きましたが、sodiumくらいしかわかる物質はありませんでした。ともあれ塩分は不足していたようです。

 自分でも驚きましたが、点滴の前後で爪の血色が段違いでした。普段から顔色の良くないほうですから、差が際立って見えたのですね。入院しなくて済んだのは僥倖、でしょうか。

 

 支払いは6000ペソ強*4。医療費として高いのかどうかはよくわかりません。明細を見ると、「脱脂綿」「消毒アルコール」「ゴム手袋」など、細かい器具にまでいちいち値段がついていて面白いです。

 日本から持ってきたクレジットが何故か通らず、Mさんに建て替えていただいてしまったのも含め、ほんとうにありがたかったですし、休日なのにとたいへん申し訳ない気持ちになりました。つくづく、マニラ首都圏で助かりました。

 

 帰りがけに薬局で薬をもらい*5、ついでに消化に良いものをいくつか購入して、2日間の籠城を決め込みました。

 薬は3種で、解熱剤と咳止めシロップとORS(経口補水液)でした。

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医療用の経口補水液って飲んだことなかったのでどんなものかと試してみましたが、海水のような味でとても飲めたものではありません。「味がお嫌でしたら、Gaterade*6でもいいですよ」とおっしゃっていましたので、ようするに何でもよいのでしょう。

 月曜日にはだいぶ回復し、火曜日に至って残すところは咳のみとなりました。

 

 しかし栄養が不足していたのですかね。ふだんなら風邪ひとつひかないはずなのにこの体たらく、バランスよく3食とらなくては瞬く間に病気になってしまう環境なのかもしれません。

 雨季は、インフルやデングもはやりますので、そういう意味で格別の注意が必要みたいです。つくづくよい教訓を得たと思います。

*1:気絶の直後に軽く嘔吐した、というのもすっきりした要因ではあるでしょうが。

*2:研修2日目:針の筵とならんや参照

*3:僕は点滴のたぐいが刺さりにくい体質のようです。小学校5年のときに、ある静脈注射を受けることになったのですが、左腕、右腕、左手の甲まで刺して「だめでした。あきらめましょう」と言われたことがあります。単に下手な医師を引く率が高いだけかもしれませんが……。ちなみにその病院は間もなく潰れました。

*4:もちろん保険には加入していますので、後から帰ってきます。本来はキャッシュレスサービス(持ち合わせがなくても見てもらえる)が使える場所でしたが、日曜なのでそれは利用できないとのことでした。余談ですが、生活費の支給がもう少し先なので、現金の持ち合わせがけっこうやばいです。

*5:薬は800ペソくらい。うち500ペソくらいが瓶入りの咳止めシロップです。

*6:日本ではあまり見かけなくなりましたが、こちらではスポーツドリンクと言えばこれみたいです。禍々しい色はどう考えてもスポーツ後に飲む色ではありませんけど、味が嫌でない限りはたぶん大丈夫でしょう。ちなみに僕は日本ではアクエリアス派です。こっちには売っていませんが。