日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間の活動を経験。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

思い出す事など④

 僕は未だこれといった肩書がございませんで、まして日本語教師では決してないのですが、振り返ってみると日本語学習者とはかなりかかわってきたように思います。

 この場合、生業ではないので正確な表現じゃないことは百も調子ですけれど、それなりの経験をしてきたがための「職業病」めいたものにもかかってしまったようです。その最たるものは話し方についてのもので、気づいたら学習者にわかりやすい日本語を話すようになってしまっていました。

 

 そもそも僕は、日本語教育において基本的に直接法を学んできました。したがって、授業を組み立てようとするときに念頭に置くのは、いかにして簡素な日本語で文法を説明することができるか、という点なのです。もちろん、これは世に言う「やさしい日本語*1」の考え方を大いに参考にしています。

 教えるときには、やさしい日本語で話さないとまったく授業になりませんし、ふだん友達として話をするときにも普通の話し方では通じにくいことがあります。といいいますか、僕の場合は日本語における使用語彙が若干特殊であるがために、日本人相手でも通じないことがあります*2ので、簡単な話し方をするスイッチはかなり大きな落差を生みます。

 UPの先生方や学生に関しては日本語力も高く、ほぼ意思の疎通に支障はありませんでしたが、たとえば僕が口語でも使うような「よしんば」とか「僥倖」とかいった言葉*3はさすがにご理解いただけないのが自然なわけです。ですから、日本語がペラペラの先生と話すときであっても、僕の言葉遣いはかなり制限を設けていたということになります。

 

 あるとき、昔からの知り合いとお茶をすることがありました。彼は僕の赴任直前にUPを卒業し、日本語を使って(たぶん日本企業での)仕事をしているということでした。

 某教育系大学に留学した経験を持つ彼は、日本語能力もさることながら、日本の文化についても造詣深く、その日は日本人のふるまいからユーチューバーについての流行*4から、広範にわたる話を全編日本語で楽しみました。

 ここまでくると「日本語うまいね」なんて褒めるのは却って失礼な感までありますので、ふつうに旧友との四方山話をだらだら続けていました。が、帰る直前に彼はこんなことを言いました。

ふだん、仕事で日本人のお客さんと話してたら日本語が聞き取れなかったりするんだけど、今日はちゃんと話せたからうれしかったよ。

 ハッとしてしまいました。無意識にわかりやすい日本語を話すクセがついてしまっていると、彼ら学習者にとってみれば実践的な(つまり一般のネイティブの)日本語を練習する機会を奪っているかもしれないのです。

 まあ、それは働いたりする中で実際的な訓練を積むべきで、友達としてはあくまで「やさしい日本語」を貫くべきなのかもしれませんが、ともあれ僕は今後どんな場面にあろうとも、日本語学習者(ないし外国人)に対して普通に日本語を話すことはできないなぁと思います。

 

やさしい日本語――多文化共生社会へ (岩波新書)

やさしい日本語――多文化共生社会へ (岩波新書)

 

*1:前にも言ったかもしれませんが、中学校で国語科の教育実習をしたときのテーマも「やさしい日本語」でした。つくづく縁があるというのもそうですが、個人的にはとことん理解を深められたのでよい経験でした。最近だと、庵先生の岩波新書『やさしい日本語――多文化共生社会へ』がコンセプトをよくまとめていると思います。

*2:なぜそんなに難しい言葉を使うのか、といわれてもちょっと困ります。自分としてはふさわしいと思うから使っているのですが、伝わらないことにはどうしようもありませんね。なお、そんな言葉遣いになったのは、ブログ他文章を書く機会が多かったことが起因していると思います。

*3:どうでしょう、どれだけ伝わるでしょうか。「吝嗇」とか「嚆矢」とかはもう少し通じが悪いかもしれません。

*4:僕はテレビを一切(ニュースも含めて)見ないこともあり、流行に極めて疎いので、YouTubeは少しばかりチェックするようにしています。流行に乗っているのか、あそこから流行が生まれているのか判別がつきませんが、社会学的には興味深い対象です。