日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間の活動を経験。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

滞在167日目:ドラクエ的ボホール観光③「旅の限界」

 夜はぐっすりでした。疲れている限りにおいてたいてい寝付きはいい方なのですが、ふだんはやっぱりPCとかスマホとかによって睡眠時間が削られているのでしょう。

 ところが、しっかり睡眠に落ちてはいながら、安らかな眠りとは言えませんでした。猛烈な体の火照りを感じていたのです。むろん寝ている間のことですから「後から思い返すと」ということですが、どうやらこの時点で熱が出ていたようなのです。

 

 そんなわけで夢にうなされながらも目覚めます*1と、どうにも頭が痛い。熱っぽさも相まってうまく体を動かすことができませんでした。本当なら、朝はホテルの朝食を食べてから空港に向かうはずでしたが、僕だけ部屋に残って休み、それから出発することとなりました。

 以前死にそうになった時にも服用した「Bioflu」を飲みこんで、どうにかタクシーに乗り込みます。この体調で車はきつい、と思っていましたが、案外空港の近くだったので助かりました。

 

 1時間やそこらの飛行機も、僕にとっては拷問ともいうべき苦痛を伴うわけですし、もちろん降りてからもタクシー。必死に目を瞑って体調に影響をきたさぬよう耐えしのびます。

 ところで、今回の旅を通じて、僕がどうして乗り物に酔いやすいかということが分かった気がします。従来は「三半規管が弱い」などと言われることも多かったわけですが、平均台はずっと得意でしたので、自分がバランス感覚に乏しいとは到底考えられずにいたのです。で、結論というかまだ仮説にすぎませんが、「ものを注視しすぎる傾向にある」というのが理由ではないかと思います。つまるところ、外の景色にしても手元の例えばスマホにしても、あまりにしっかりと目で追ってしまうがために、乗り物の揺れの影響が眼に伝わりやすく、眼を回しやすいということです。たとえ三半規管がどんなに強くても、特別な訓練をしていない限り眼を回したら酔うのは必然でしょう*2

 

 というのはさておき、僕たちはひとまずUPの言語学科に帰ってきました。お土産をテーブルに設置したりするわけですが、オフィスでは先生方が翌日のクリスマスパーティの準備にいそしんでいます。僕はぐったりしていたので何も手伝えませんでしたが、何人かの先生はわざわざ僕にクリスマスプレゼントをくださいました。体調もありましたが、あまりに唐突というか意外でしたので、喜びをそのまま表情に出せたかどうかは微妙なところです。そういえば、友達の少ない僕はクリスマスにプレゼントを渡したりもらったりした経験にも乏しいのでした。学生時代にも「学生っぽい」時間を過ごしてこなかったわけで、別段後悔はしていませんが、このまま大人になるのも経験値不足という意味でどうかとは思います。

 

 で、しばらく学科にはいたのですが、やっぱりつらくなってきましたので早めにうちへ帰りました。もちろん翌日のクリスマスパーティに参加するため、万全の体調で挑もうというわけです。

 ところが、うちに帰っても体調は悪化するばかり。あえて体温は計りませんでしたが、恐らく39度は超えていたと思います。全く動けず、食事もとれないまま翌日になってしまいました。

*1:どうでもいいですが、僕はよく夢を見るほうです。もちろんこの言い方が精神医学的に正確でないことはわかっているつもりで、より正しくは、起床後もよく夢を覚えているほうだということになります。もともと夢という突拍子もない虚構に興味があったので、忘れないうちに記録できるよう、枕元にメモ帳を常備して生活してきました。あまりにもつまらないものは書きませんが、大抵の夢を記帳するようにしていたところ、夢が記憶に残る割合は高くなってきたようです。記憶領域の使い方に変化が生じたということでしょうか。このあたり、フロイトでも読んで勉強したいところですが、なかなか機会がないまま生きてきました。

*2:ある一定の職業、たとえばバレリーナやフィギュアスケーターといった人たちが目を回しにくいというのは聞いたことがあります(トリビアの泉だったかな)。この「目を回す」という現象、視覚に関する防衛反応のようなものだと思うのですが、それにしたってもう少し賢いやり方がありそうなものです。