日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間の活動を経験。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

滞在163日目:カルガモ的セブ観光②「研究の士気」

 学会の初日は大寝坊から始まりました。7:15に集合してみんなで行く予定が、起きたらその時間だったのです。ひとまず先生には先に行っていただき、後から追いかけました。開会は8時なのでギリギリという感じです。

 まず受付をしますと、パンフレットを頂きました。なんとこれがふろしきに包まれている。”Japanese Studies”とはいえ、こういう心意気は素敵ですね。実に嬉しいおみやげです。

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 さっそく全体講演として2名の先生が登壇され、ナショナリティネオリベラルについてのお話をされていました。ここでは全部英語でしたので僕としてはかなり体力を使いましたが、そこそこの水準で理解はできたと思います。ただ、後者の話題についてはそもそも背景知識がない*1もので、個々の単語はおろか言及の流れもおえないという有様でした。

 これが終わりますと会場は5つに分かれます。それぞれジャンルが決まっていて、自分の興味があるところに足を運べるわけですが、もちろん僕は日本語、及び日本語教育のブースに常駐していました。

 

 人が研究していることについて、この場でどこまで言及していいのかちょっとわかりかねていますし、第一この日僕が聞いた8つの講演すべてについて書くのはあまりに長いのでやめておきますが、いくつか収穫として当たり障りのないところを挙げておきます。

 

 まず今後最も役立ちそうだと思えたのは、言語分析におけるコーパスの可能性です。大学生をやっているときにもレポートや卒論でさんざんコーパスのお世話にはなりました*2し、(少なくとも当時は)それなりに使いこなしていましたが、今日聞いた発表では僕がこれまでに考えたこともなかった観点から用いられていました。まあ偏に僕の勉強不足といいますか経験が浅いだけの話なのですが、刺激を受けるというのはまさにこういうことなのですね。

 当該の発表は日本と関連付けられながらも、分析自体はタガログ語の文献でしたので、コーパスとかの扱い方は英語の方に近いのだと思います。もちろん日本語より英語の方がコーパスは発達しています*3から、そうした意味では海外の研究を参照しつつ日本語を分析する必要も大いにあるのでしょう。今後研究みたいなことをする立場になったら、ぜひ活かしていきたいところです。

 

 もうひとつは社会情勢と言語の関連です。ざっくり言いますと、ある表現媒体(小説とか詩とか)の中で使われる言葉は、戦前・戦中・戦後でそれぞれ傾向が異なるということです。この点、実は翌日の講演ともちょっと関係していて、そこでは経済言語学という耳慣れない言葉を聞いたりしたのですが、限界はあるにせよ社会経済の動きと言葉の変遷とは連関がないはずはなかろうと思います。難しいのはその証明で、先に挙げた戦争であれば比較的容易に説明できそうですが、「豊かになった」とか「不安が広がった」という程度だと、果たしてそれ自体が原因かどうか判定がつかない*4部分でもありますので、綿密な分析と数をこなしていくことが大事そうです。

 

 それから、これは別にどうでもよいのですが、論文を読んだり発表を聞いたりする中での分析的思考が、僕の中で衰えていなかったのは幸いでした。今日の発表で1カ所どうしても気になるところがあって、質問というか意見を述べさせてもらったシーンがあったのですが、後で聞くと同行していたUPの先生も気になるところであったようで、指摘にお褒め頂くことができました。これ自体は自己満足ですが、もう1年くらいちゃんとした研究から離れていますので、まだ頭が動くことに感慨さえ覚えているところです。

 

 UPの先生方の発表は今日だけでしたので、我々のパーティは打ち上げの趣を呈しつつ、晩御飯にBBQのお店へ行きました。「お店」といいますか、見た目はフードコートみたいなのですが実は区画がきっちり分かれていて、周りは全部似たようなBBQ屋さんなのです。生肉や生魚が無造作に置かれ、欲しいものを指名してから近くにある炭焼き場(?)で焼いてもらうのですが、さすがの僕も衛生面で不安になるほどでした。生肉もそうですし、内臓までありますからね。

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 ただし味はよかったです。ビニール手袋をはめてのほぼ素手状態で食べましたが、やっぱり食べやすい。危ないとは知りつつも、鳥の腸が一番おいしかったです。

*1:というか政治がさっぱりわからないのです。経済なら多少は働きが分かるのですが、個々の主張を統括する論調の束、例えば「右翼・左翼」みたいな対立を、よく掴みとれないまま年をとってしまいました。けれども、個々の事象に対する意見を、そうした大きなラベリングで語るのには無理があろうという認識だけは持っています。

*2:僕が用いたのは国立国語研究所の「現代日本語書き言葉均衡コーパス」で、「中納言」と呼ばれるシステムで検索していました。これは申請しないと使えないものですが、「少納言」については一般公開されていまして、機能こそ少ないですが手軽に使えて面白いです。

*3:一番大きい要因は、語の間のスペースの有無でしょう。英語であれば区切れが一目瞭然ですが、日本語の場合はどこで区切ったらよいのか、それを機械的に分析するのが案外やっかいみたいで、コーパスを使っていてもよく誤解析が見られました。

*4:この「それ自体が原因か」っていう観点は、論文を批判的に読む上でけっこう大事なことだと思っています。論文だけでなくニュースなんかでもそうで、例を挙げると、ずいぶん前になりますが、「コーヒーを毎日飲む人と飲まない人を比べると、前者の方が寿命が長いという研究結果が出た」という報道がありました。一瞬「へぇ」とは思いましたが、よく考えてみますと、単に「コーヒーを毎日飲むか」という比較だけでは「コーヒーが寿命に作用する」ことを示さないことが分かります。あくまで例えばですが、「コーヒーを毎日飲む」人には「生活習慣が規則正しい」人が多いかもしれませんし、そうなれば「生活習慣が規則正しい」ことのほうが寿命に影響しているかもしれず、コーヒーと寿命との因果関係を立証したことにはなりません。この件については元の報告をきちんと読んだわけではないので、詳しいことは分かりませんが。