日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間の活動を経験。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

郷愁、あるいは最後の仕事

 ここ数ヶ月、いろいろ身辺の整理がつかずにFacebookを一切確認しない日々が続いているのですが、4期の方の活躍はすでに始まっているようです。UPに派遣された方については、すでに僕の半年分くらいの意義を持った活動をなさっているようにお見受けしていて、顧みては自分の至らなさを恥じるばかりですね*1

 ところで、僕はてっきり4期全員がそろって7月半ばから動き始めたものと思っていたのですが、実際はお一方、ビザなどの都合で出発の遅れた方がいらしたということでした。で、これを幸いとするわけではありませんが、せっかくですので東京近郊に住んでいる3期メンバーが集まり、その方とお話しする会を設けました。

 

 聞き及んではいたことですが、今回派遣されるメンバーはフィリピン渡航経験を持つ方がほとんど(全員だったかも)ということです。僕を含めて2名しか渡航歴がなかった3期と比べますと、現地の雰囲気が多少なりともつかめている分、生活・治安面での心配は少ないといえるかもしれません。

 ただし、この傾向が「日本語パートナーズ」の趣旨からいってどうなのかは、ちょっと判断しかねるところでもあります。このプロジェクトは、日本語教師とかの専門性を持たない一般の方を海外に派遣し、相互的な文化交流を試みるという意味合いもあるわけですから、個人的な意見としては、渡航歴のある方とない方との両方がない交ぜになっていたほうが面白いものができるのではないかと思います。

 ただし、フィリピン4期メンバーでも、過去にパートナーズ事業に参加したことのある方が含まれているところから察するに、完全に海外生活と無縁の人は、そもそもこのプロジェクトに応募しないということもあるのでしょう。第一、日本語パートナーズ自体が未だJICAの青年海外協力隊のように高い知名度を獲得するに至っていません*2から、そのあたりは僕たち参加者の発信能力が問われているのかもしれません*3

 

 この日お話ししたのは短い時間でしたが、たいへんポテンシャルに富んだ方であることは疑いもありません。やる気に満ち溢れた姿勢は、僕など到底及ばないほどまぶしく見えました。これは自己韜晦や謙遜などでは決してなく、本心からそう思います。

 なによりうらやましく思ったのは、「なにが得意なの」と問われて、即時に答えられる豊饒な資質と自信に満ちた姿勢でした。CDO出張のくだり他で散々申し上げているように、僕の抱える無数の悩みのひとつに「とりたてて得意なことがない」というものがありましたので、何か誇れることがあるというのは実に望ましいことだと思います。それがなくてどうして選考に通ったかという意見もございましょうが、正確に言うと「得意なことがあったはずなのに発揮が難しかった」ということになります*4

 

 今期の派遣は、残念なことに治安の関係上ダバオの実施がなくなり、その代わりにマニラ首都圏に滞在する人数が増えています。UPには2名が派遣されていて、大きな企画がやりやすくなることと思いますし、近隣の高校も新規開拓含めて仲間が多いことはそれだけ可能性が大きくなることと思います。おしゃべりサロンもそうですが、派遣校以外の学校への「出張」も楽しいし発見に満ちていますので、大いに交流しあうべきでしょう。

 

 ところで日本(a.k.a reality)は、僕にとっていろいろな意味でストレスに満ちているわけですが、この日パートナーズについての話を延々とした結果としてフィリピンに「帰りたく」なったのは無理からぬところです。一時期はフィリピンでの仕事を探してみようかと思ったこともありますが、如何せん語学その他の能力が著しく不足していますので、見送ることとしました。が、お邪魔でなければ、4期のみなさんが滞在しているうちに1度くらい遊びに行けたらうれしいですね。

*1:ほんとうは、もう「僕の10ヶ月分の仕事をしている!」と言い切れるほどに感心しているのですが、さすがにそこまで記述しないのが最後の矜持です。

*2:少なくとも僕の周りでは、基金という機関の名前も通りがよくない印象で、説明が面倒な時(怠惰ではなく、タイミングの問題として)は、「JICAのやつみたいな感じ」と言ってしまう自分もいます。むろん内実は全然違いますが、公的機関を通じて派遣されるという構図を伝えるには手っ取り早い説明なのです。

*3:結果として拙ブログも一般の読者にまで情報を届けることができませんでしたので、ちょっと残念です。そもそも記述の方針が間違っているということであれば、ある種仕方なくもありますけどね。

*4:剣道なんてよさそうな趣味でしたが、道着を処分してしまっていたのも痛恨でしたし、それを文化体験会に昇華させるだけの企画力に欠いていました。後から考えずとも、いくらでもやりようがあったのは明確なのに、情けない気持ちでいっぱいです。