日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間の活動を経験。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

滞在247日目:そもそも漢字とは何か

 お察しの通り、これ以降の記事は、「滞在266日目(最終日):白い光の中に」を除いて全部帰国後にものした日誌となります。従って内容は記憶によるところも多いわけですが、反面、快適な参照資料に恵まれていますので、新たな知見を挟み込みやすいという意味においては、あるいは価値を認められるかもしれません。

 で、この日は授業の時間を頂いて、教科書『げんき』の第3課に登場する漢字を紹介しました。

 

 これ以前にも漢字についての話は幾度かしていますが、そもそも漢字とは、という段階から話し始めるのは初めてだったように思います。

 いうまでもなく漢字は中国から流入してきた表記体系で、それまでの日本には文字文化が存在しなかったということになっています*1。漢字の伝来がいつ頃であるかというのには定説を見ないようですが、応神天皇の時代に百済から王仁という博士が伝来し、『論語』や『千字文』をもたらしたということになっていますので、4世紀末から5世紀くらいのことということでひとまず落ち着いているみたいですね。

 

 そうした歴史はさておき、授業でまず先生からふられたのは「音読みと訓読み」の件でした。簡単に言いますと、漢字が入ってきたときに元々あった”日本語”の音とのすり合わせが必要となり、伝わったそのままの発音(つまりは当時の中国語の発音)を再現したのが音読みで、新たに伝来した漢字を使用しながらも、読みとしてはそれまでに使っていた発音をあてはめたというのが訓読みなわけです。

 例えば、「山」という漢字が初めてやってきたとして、現代中国語ではこれを「Shan1」と発音しますが、これが音読みの「サン」に変わるわけです。で、「山」の意味を確認しますと「まわりよりも著しく盛り上がった土地(『旺文社国語辞典』第十版より)」のことだと分かり、「なぁんだ、俺たちが『やま』と呼んでいる地形のことか」という理解に基づいて「やま」とも読まれるようになった、とそういう感じです。

 上記のような説明でおおむね間違いではないわけですが、こうして整然と書き起こすよりも口頭で(しかも英語で)説明するのはどうにもうまくゆかず、しどろもどろの終着は先生へのバトンタッチでした。先生はもちろんベテランですし日本文化への造詣が深くていらっしゃるので、簡潔に的を射た説明で学生たちを納得させていました。

 

 で、第3課に登場する漢字の説明へと移りますが、ここで学ばれるのは「一・二・三・四・五・六・七・八・九・十」「百・千」「円」「時」と、数字に関連したものだけで構成されています(これは第3課本文で学ぶ内容に関連してのことです)。

 まず「一・二・三」は分かりやすいですね。ただ棒の数だけを説明すればいいので、学生からすれば覚えるまでもない3つです。

 次に覚えやすいものとなりますと、「七・八」でしょうか。フィリピンでは数字の7を手書きする時に、カタカナの「ヌ」のような書き方をする人が非常に多いです。で、この「ヌ」を上下180°ひっくり返せば「七」ができあがります。「八」はカタカナの「ハ」から連想させるだけでよいかな、という感じですね。

 「四・五・六・九・十」については、個人的に納得のいく説明(mnemonic)が考え付きませんでしたので、もしアイディアがおありの方いましたらご指南いただきたいところです。「書いて覚えるしかない」という側面もなくはないのですけどね……。

 「百」も案外に教えやすく、アラビア数字の「1-00」を右方向に90°倒すと「百」らしきものが見えてきます。「千」は「十^3(10の3乗)」から変形させて覚えさせている先生もいましたが、覚えやすさはどうなんでしょうね。「万」もちょっと説明に窮しました。

 「円」も覚え方は思いつかなかったのですが、通貨Yenの意味とCircleの意味とがあることを解説した上で「かつて1ドルは360円に固定されていたが、これは円が360°であることに由来する」という俗説を披露したり、日銀本店の建物を上空から見ると「円」の形をしている*2とかいう話で気を惹きました。

 

 漢字自体の説明はそれだけなのですが、数字に関連した何かちょっとした話をしたいと思い、長寿の呼び方というトピックを扱ってみました。漢字の形で遊ぶ楽しさを知ってもらえたらという配慮ですが、終わってみると少し難しかったかもしれません。

 「半寿」「米寿」「白寿」は割合見たまんまなので感心してもらえましたが、「喜寿」「傘寿」「卒寿」は、解読するのに略字とか書道の知識を必要としますので、あまりピンときていないようでした。

 ところで、僕の手元には小林多喜二『工場細胞』の初版本*3があるのですが、表紙のデザインを見るとこんな感じになっていました。

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グラシン越しのスキャンでやや見づらいですが、多喜二の「喜」の字は「㐂(「七」が3つ)」と表記されています。「喜寿」のコンセプトとしては左下のパーツを「十」と見做していますが、そこは草書体がもととなっていますのでけっこう揺れがあるようです*4

 

 閑話休題

 漢字学習は、少なくとも一般的なフィリピン人学生にとってけっこうハードルの高い学習内容です。まずいことに(?)中華系の学生だとすでに書けちゃったりしますので、クラス内での習得度に差が生じ得るというのもこの国独特の難しさと言えるかもしれません。

 

 日本語の歴史についてちゃんと調べようとしたときに、やっぱりネット資料は心許ないと痛感しました。UPの図書館にあるかは確認しそびれましたが、日本で僕がよく参照する本を最後に載せておきます。

日本語の歴史

日本語の歴史

 

ページが多くない割りに資料も豊富で、ある程度専門的に学習できる本だと思います。若干古いので、例えば2013年だかに新資料が発見された平仮名の誕生についてはもちろん記述が追いついていませんが、歴史の論理というか、結びつき・変遷というものを僕はこのテキストで学びました。個人的にはおすすめです。

*1:近世期の学者である平田篤胤などは、漢字伝来以前の日本古来の文字として「神代文字」の存在を主張していますが、当時の音の数とか漢字導入の必要性を考えると恐らくフェイクであろう、というのがいちおうの結論となっています。

*2:狙ってそうなったわけではないというのが驚きです。ただしそれを抜きにしても辰野金吾による建築は当時の姿をとどめていて、中庭には馬車馬の水飲み場が残されたりしているそうですので、いつか見学したいなぁと思っています。

*3:この版は復刻版も出されているので何も大枚はたいて購うこともないのですが、それでも当時の書籍を欲する当たりがマニア心理というわけです。

*4:こういう略字とか文字デザインの変遷も調べたら面白いかもしれませんね。