滞在225日目:オカマ歌劇を見る
もちろん仕事といいますか、メインとなる業務を最優先しなければならないということはわかっていますが、それにしても楽しい誘いを断るのは憚られます。ただでさえ残り短い滞在なのですから、やることがあるから、などというつまらない理由で活動を減らしたくないのです。となると、必然的に犠牲となるのは睡眠時間や健康だったりするわけですが、あと1ヶ月ばかりなら多少の無理も許されましょう。
で、この日の夜は"CARE DIVAS"というミュージカルの舞台にお誘いいただきました。先生方全員と、学校近くの劇場へ繰り出します。
趣旨がまったくわからないままくっついていったところ、どうやら本編はタガログ語らしいと教えられ、しまったと思いました。勉強しているとはいえ、舞台を見るレベルとなると英語がやっとという程度の語学力なのです。ましてあらすじすら知らないのですから、この時点ではかなり絶望的でした。
ビクビクしながら開演を向かえますと、意外なことに台詞は英語で語られました。オカマがおじいさんの世話をしている場面で、細かいところまではわからないですが、だいたい言っていることは分かる程度です。しばらくすると別のオカマが現れ、彼/女もハウスキーパーというかお手伝いさんのような仕事をしているようでした。
場面が転換すると、ショーに興じるオカマ5人組が登場します。もちろん先の2人も含まれていますが、彼/女らの会話はタガログ語でさっぱりわかりません。
ここでようやく話の内容がつかめまして、要するにオカマ達はフィリピンから別の国(後から聞いたところイスラエルでした)に来て働いていて、フィリピン人以外との会話は英語で演出されているのでした。また、設定として、オカマの中に(全員かどうかは分かりません)不法滞在労働者がいるらしく、警官から逃げながらこそこそ働いているということらしいのです。
もちろん話の筋をここで語るつもりはありませんけど、やはり「お手伝いさん」としての低い身分と不法滞在の苦しさは重々しく伝わってきました。彼らの存在を全面的に肯定するわけでもありませんし、政府が人情に与するというのも難しいでしょうが、その無慈悲な運命は悲しかったです。
ただ、舞台の雰囲気は総じて明るく保たれていました。オカマの舞台、といえば想像に難くないでしょうが、彼らの軽快な語り口、飛び交うジョークは、彼/女らの前向きさを象徴しているようで、テーマの深刻さと裏腹に会場は笑いで賑わっています。
終幕についても、根本的な救いはないまま終わります。それでも彼/女らは屈することなく、最後まで歌い踊り続けているのでした。
舞台とは別に考えたのは、オカマの人たちの受容についてのことです。舞台ではオカマ役が”オカマらしい”態度でおもしろおかしく演じていましたが、劇中および観客の態度として、笑いは軽蔑の笑いではありませんでした。つまり、オカマがオカマであること(セクシュアルマイノリティ、と言えばいいでしょうか)をおかしいと思っているのではなく、あくまで楽しいオカマだから笑っているだけのことで、存在自体は受け入れられているように感じたのです。改めて言うまでもありませんが、フィリピンではオカマがオカマらしく生活している様をよく見かけます。
個人的に、オカマには気さくで付き合いやすい人が多いように感じていますが、そうでなくとも別にオカマであることそれ自体は糾弾されるべきことではないでしょう*1。
非常に楽しく、笑いながら見られる舞台で大満足でした。多少疲れてはいましたが、この機会を逃さずに済んでほんとうによかったです。
ところで、劇中でオカマ達が話していた言語はBekiと呼ばれる、オカマ言語だそうです。これはタガログ語話者であっても100%理解できるというものではなく、従って僕が全く理解できずとも負い目を感じる必要はない、とのことでした。つくづく言語のヴァリエーションが多いのは楽しいことだと思います。
セクシュアルマイノリティをめぐる学校教育と支援―エンパワメントにつながるネットワークの構築にむけて
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