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日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間派遣予定。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

滞在180日目:華々しい年明け

IN THE PHILIPPINES フィリピン事情 chihariroの話

 年明けです。

 とかくフィリピンにいて一番妙な感じがするのは、気候がほとんど変わらないということです。気温は一年中夏ですし、強いて言えば雨の多寡は体感していますが、年間を通じてクーラーを焚いていますので、体が疑問符を浮かべる有様です。クリスマスも年明けも、このトロピカルな空間で過ごしていますと、今一つ実感がわかないというのが正直なところでして、やはり日本人にはあの引き締まるような寒さが必要なのだなぁと実感しました。

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 言うまでもなく、フィリピンには紅白もなければ除夜の鐘もなく、初詣も年賀状もありません。まあ日本にいる時でもこうした年中行事をすべて行っているかといえばそうでもないのです*1が、そういうものが成されているという感覚がないと、年越しの感覚もまたやってこないのだと知りました。

 

 で、こちらの年越しがいかなるものかというと、花火で彩られます。そう聞いて僕がまず思い浮かべたのは、中国などの旧正月でよく用いられる「爆竹」です。光というより爆発的な音に重点を置いたこのアイテムは、年末が近づくにつれて僕の家の近くでもたびたび爆音を響かせていました。ですので、その延長として年明けの瞬間にはそこら中で爆竹が鳴り響くのではないかと兼て思っていたのです。

 

 が、現実はそんなものではありませんでした。年が明ける2時間前の10時ごろから、ぽつぽつと打ち上げ花火が上がり始めます。日本ほど彩りは豊かではなくシンプルな色合いではありますが、それでもそれなりに直径のあるものです。「ぽつぽつ」というのはタイミングの話でもあるのですが、アパートから眺めていますと優に10カ所以上から打ち上がっているのが見えました。

 おそらくというかまず間違いなく、日本のように花火職人が上げているわけではありませんで、多少ゆとりのある家庭で勝手にやっているものと思いますが、それにしては規模が大きいです。慣れているからというのもありましょうが、いろいろ考えると不安で仕方ありませんでした。

 

 花火は年明けが近づくにつれて勢いを増し、2016年も残り1分という辺りではそこら中でフィーバーする打ち上げ花火、眼下には爆竹、そしてなぜか車のクラクションの音までが響き渡っていました。

 そして年越しの瞬間。フィリピン独特のものかどうかは知りませんが、その瞬間に跳ねると背が伸びるとかいう話を先生に教わったので、みんなでジャンプして「あけましておめでとう」と相成りました。

 

 ところが、花火や爆竹騒ぎは留まるところを知りません。まるで年越しに気づかなかったかのように、変わらぬ勢いを保持していました。結局この喧騒は1時間ばかり尾を引き、街中に白煙ときな臭さを残すことになるのでした。

 

 

 そういえば、今年僕は24才になりますので年男です。だからどうということもないのですが、年ばかり喰ってロクな人間になれなかったなぁという実感ばかりがただただあります。

 人間はよく「あの頃」を回想しますが、「あの頃」の僕は将来について底抜けの明るさを期待していたように思います。なんとなく過ごしていればそれなりに立派な大人になれる、という未熟な考えのみを抱いたまま20幾年を過ごした結果、気づけば何もできない大人になってしまいました。よしんば「イヤ、君はいろいろやっているじゃないか」と慰みにおっしゃる方があるにしても、その「いろいろ」は社会から乖離した娯楽にすぎないのです。ただ自分の興味のあることだけをやってきた僕には、まともに生きる将来は期待するべくもありません。

 

 なんていう、「えたいの知れない不吉な塊*2」あるいは「将来に対する唯ぼんやりした不安*3」もありつつ、当面はこの日本語パートナーズとしての活動を楽しみ、又任務を全うしてゆきたいと考えております。その後のことは、神のみぞ知る、”Tomorrow is Another Day*4”という心持です。

 本年も精一杯頑張りたいと思いますので、最後までどうぞよろしくお願いいたします。

*1:よく考えると僕は紅白をちゃんと見た記憶がありません。歌にそこまで興味がないためでありますが、それと真逆に年越しは毎年「シルベスターコンサート」を見ているのだから統一感がないですね。初詣もここ5年ばかりまともに行っていませんし、年賀状は面倒なので廃止しました。そもそも友達の少ないというのが、こういうところでもうかがい知れます。

*2:言わずと知れた梶井基次郎『檸檬』の冒頭部分です。「塊」を「魂」と誤解する向きもありますが、この誤植は初出誌にすでにあったもので、初版本刊行の際に直されたとかいうことです。僕は十字屋書房の再版本しか持っていませんが、ひとまずそれで十分だと思っています。

*3:これも有名な芥川の遺書です。僕は芥川文学についてはいい読者ではなくて、特に後期作品の『或阿呆の一生』『歯車』あたりはどうにも理解できずにいます。前期の古典文学に材をとったものはまだ読めるのですが。ちなみにこちらの書店では、『或阿呆の一生』の英訳本が売られているのを見つけましたが、収録は表題作と「点鬼簿」「藪の中」でした。

*4:これは『風と共に去りぬ』の名言と理解していますが、これを「明日は明日の風が吹く」と訳したのは誰なのでしょう。一説では戸田奈津子という話もありますが、いずれにしろ意訳の成功例だと思います。