滞在152日目:JLPT
日本語能力試験は年に2度開催されています。日本だけでなく、世界各地で受験することができるうえ、やはり日本に来るときにはマストな資格ですので年々受験者は増加しているようです。フィリピンについてはなぜか今回が過去最高の受験者を記録していて、6900人もの多くが申し込みをしたそうです。
僕らパートナーズは近くのデ・ラ・サール大学に召集され、解答用紙などをカウントするスタッフとしてお手伝いをしました。
近くと言っても電車を乗り継がなくてはなりませんので、ビビった僕は2時間半みて家を出ました。MRT、LRTを乗り継ぎ、結果的には1時間半ほどで到着。着いたのは10時くらいで試験は1時開始でしたが、すでに校門前には列ができていました。それを尻目に守衛の下に駆け寄り、IDを見せて学校に足を踏み入れます。
さすがにちょっと早かったので待ち時間は長かったですが、11時には事前の説明が始まりました。予め渡されていた予定表をもとに作業手順が指示されました。紙媒体でフローチャートを見てもさっぱりわかりませんでしたが、話を聞いてもなんのことやらさっぱりわかりません。ようするに解答用紙と問題用紙との数をちゃんと数えればいいのですが、何をどう数えてどこにしまうか、というのがこんがらがってしまいました。しかしまあ、このテの仕事は「やならきゃわからない」タイプだと察しはつきましたし、恐らくそれを見越してJFMの方も説明を省いたことと思いましたので、この場では何となくの理解で済ませました。
僕らの仕事は、試験の合間(休み時間)に記入済み解答用紙と終わった問題を受け取り、次の試験で使うセットを渡すというものですので、試験時間中はのんびり座っているしかないわけです。ただしJFMの方や試験監督の担当者はそうもゆきませんで、試験直前から上を下への大騒ぎでした。アクシデントも頻発していたらしく、例えば予定していた試験監督が試験時間になっても現れず、その代役に誰が向かうかでもめていたり、試験開始後に会場の教室がわからないと駈込んで来たりと、待っているしかない僕らとしては申し訳ないくらい混乱の様相を呈していました。
自分たちの仕事についていうと、途中何度か解答用紙の枚数が足りず探しに戻らせることはありましたが、致命的なミスはなく完遂することができました。ぶっちゃけバイトに出来るような仕事ですので、手を必要としているだけで仕事自体は難しくないのですよね。
ところで、ここでの試験監督というのは各地の日本語教師が集められているようでした。UPからの先生もわんさかいらっしゃいましたし、3年前少しお付き合いのあった他大学の先生もいらしていたり*1して、まさに総動員というべき状況です。
国内の会場はセブやダバオにもありますが、規模はマニラの比ではありません。日本で受験するより格段に受験料が安いですので、今後も学習者がいる限りはこの状況が続くのでしょうが、もっとスタッフとか会場は充分に必要だと思います。他方、会場を分割しすぎるとルールの統一に骨が折れそうではあります。
なお僕が担当しましたのはN4。聞くところによると、日本のビザを取る上で一番の基準点となる級らしいので、受験者は最多でした。しかしながら、各受験教室の様子を見ていると20%くらいは欠席しています*2ので、必ずしも受験者の数だけ日本に行きたい人がいるというわけでもなさそうです。
なんにしてもちょっとしたバイトは終わり、込み合う電車に耐えて自宅に帰ってきました。余談として、この日駅から帰る際にはタクシーを使ったのですが、初めてすべての指示をフィリピノ語でこなすことができました。といっても「右」「左」「まっすぐ」「ここです」くらいのものですが、それでも意識として使える程度に進歩したのは、個人的には嬉しく思っています。