日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間の活動を経験。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

滞在150日目:国際的な意識を持つ

 昨日終了したフィリピノ語のクラスですが、クラスメイトにはいろいろな国籍の学生がいました。一番多いのは日本でして、韓国、ベトナムインドネシア、ドイツ、ニュージーランド、アメリカとてんでばらばらです。僕は学生ではありませんから、ちょっと距離があって全員とは話すことができませんでしたが、うち数人はよき友達となってくれました。

 で、今日の夕方は、ベトナムの友人に頼まれて彼のインタビューに答えることとしました。テーマはステレオタイプについて。自国ベトナムに対する印象を調査しているとのことでした。

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(写真は僕の自宅近くのホールで、たいへん絢爛な装飾が施されています)

 質問内容は大きく2つで、ひとつは「一般的にベトナムがどう思われているか」で、いまひとつは「僕自身がベトナムをどう思うか」という感じでした。

 

 前者はよりジェネラルなステレオタイプを問うているわけですが、要するに「『一般的にこう思われている』と僕が思っているもの」を答えるわけですからちょっと頭をひねらせる必要がありました。ここでいう「一般」は僕の国である日本と捉えてよいとのことでしたので、どちらかというと日本のメディアでベトナムがどのように扱われているかを答えました。

 「印象」というのは、与えられた形容詞から当てはまるものに丸を付けるのですけれども、ぶっちゃけ日本から見ると「汚い」という印象があろうと思いました。バイクが大量に走っているというあのイメージもそうですが、あまりにも潔癖な日本*1からしますと東南アジアはどこも「汚い」と思いがちなのではないでしょうか。加えて「Happy-go-lucky」というのもそうだと思います。これも日本と比較しての話ですが、東南アジアの方々は些末なことを気にせず、人生を如何に楽しめるかに集中している感もあります。むろん、僕の個人的な見解です。

 

 後者はもう完全に僕がどう思うかを答えましたが、よく考えるとベトナムについてそこまで印象があるわけでもないのでした。確かに、大学時代ベトナムに行った友人の話は聞いたことがありましたし、パートナーズの研修でもベトナムに行く方々との交流を通じて少しばかりの理解は得ていました。けれども「こういう国だと思う」というような確固たるものはさして持ち合わせていなかったのです。

 既に答えた日本におけるステレオタイプとは別に、僕はベトナムの人って賢いと思っているフシがあります。立ち返ってみるとベトナム人の友人は今回インタビューをした彼が最初ですので、彼の影響も相当に大きいわけですが、ベトナムについては今まさに成長を遂げつつある印象がありまして、人々の向上心というかそういう知恵というものはかなり高いのではないかと思います。もっと言うと、その彼は英語に堪能でして、聞けば若い人ならベトナム人はたいてい英語ができる*2ということで、そうした意味でも可能性を感じずにはいられません。

 

 答えたあとに30分ばかり理由などを聞かれ、うまく説明できないこと(というよりベトナムについてあまり考えてこなかったこと)を恥ずかしく感じながらもインタビューは終わりました。

 終わって、特にやることもありませんでしたので2時間ばかり雑談をしました。クリスマスの祝い方、宗教観、英語教育*3日本語教育*4など、話題は尽きず楽しかったです。

 

 もちろん全編英語を使っていたわけですが、案外不自由なく話ができたので安心しました。先日のフィリピノ語のオーラルテスト同様、答えるべき内容を持ち合わせていないというのはありつつも、語学力としてはまずまずといったところだと思います。

 もっと感じたのは、明確に異なる文化を持つ人と関わる楽しさでした。細かいことについても大きな違いがあるわけで、それについての意見交換は大変有意義なことと思いますし、たといそれについて知識を持っていなくとも、それに自覚的になれるという点では進歩と捉えることも可能でしょう。

 ただしこれを仕事というかキャリアにどう役立てられるかというのは、別問題ですね。難しいところです。

*1:僕が潔癖症に近い「症状」を抱いているのは、恐らく僕が日本人であることと関係しています。まあ一般的に潔癖症を訴える人がそうであるように、僕の場合も自分のルールに則って「きれい」と判断できればいいわけで、その意味で言いますと僕の部屋は常に散らかっています。ただ、フィリピンとか東南アジアに来ますとそんなこと言っていたら生活できないわけで、「免疫」というありふれた言い方をすれば、日本はもっと汚さになれるべきだと思います。

*2:フィリピンほどではないけどね、と彼は言っていましたが、「使える」「使えない」という二項対立で見たときに圧倒的に後者が多い環境に育った僕としては、コミュニケーションが難なく取れるという時点で極めて羨ましいのです。

*3:日本人は大学を出ても英語が話せないとか、英語の先生すらまともに喋れないという状況を彼はすでに聞き及んでいました。僕は数々の短期留学をこなす中でどうにか英語を身に着けてきましたが、彼の考えとしては、国内で充分話せる素地を養ってから外に出るほうがよかろうということでした。曰く「国内にもネイティブの先生もいるからそれで充分だし、外に出るならちゃんと準備をしてから行ったほうが効果的でしょ」とのことです。思い返せば、どちらかというと僕は留学前からそれなりに運用できる力があったほうでしたし、一方「こんなんでよく海外行こうと思ったな」という学生も周りにはいました。別に個々人が何を学ぶかは自由ですが、そうした「話せない状態で海外に行った」学生たちは、1ヶ月の短期留学が終わってもそんなに話せないままだった印象があります。英語習得については、また項を改めて書いてみたいところです。

*4:僕が国文卒であることを告げると、ベトナム日本語教育では、文学の素地も求められているということでした。例として彼が出た大学では、4年間外国語を学ぶ上で、始めの2年間は基礎を徹底的に叩き込み、あとの2年間は当該国の地理や歴史、文学をその言語で学ぶのだというのです。いわゆるイマージョン教育というやつらしく、プレッシャーはものすごいとのことでしたが、それにしたって2年でそのレベルとは大したものです。やはり日本語を海外で教えようと思ったら、文学とかそのほかの教養も十分に必要だなと感じる次第です。