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日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間派遣予定。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

滞在141日目:日本語クエスチョン④

IN THE PHILIPPINES 授業アシスタント ことばの話

 UPで見学しているクラスは10くらいありますが、習得レベルでいいますと5種しかありません。つまり、単純計算では2つくらいずつのクラスが同じレベルの授業を同時に進行していることになります。そうなってきますと、学生からよく質問される項目については、クラスごとに毎回質問されやすいのです。

 

・「わかる」と「しる」

 どちらも知覚についての動詞ですが、よく使う割に大きく意味が異なる部分もあります。

 まずアスペクトとして違うのは、「わかる」が結果の継続している状態を表すのに対し、「しる」は無知から知覚へのを示すという点です。従って「わかります」と同様の意味(「情報をもっている状態」)を持たせるには「しっています」が適当となり、「しります」は「情報を得る」ことを指します。(「あります」と「持っています」の対立と同じように考えるとわかりやすいかもしれません)

 意味としても若干違いまして、次のような文を例に挙げることができます。

(1)日本語を知っています。

(2)日本語がわかります。

(1)では単に言語としての「日本語」の情報をもっていることを指しますが、(2)では「日本語」を解する(=運用できる)ことを意味します。つまり「しる」は比較的表面的な知覚であり、「わかる」はどちらかというと深い理解を表すことが言えるでしょう。

 また「__を知っていますか?」の応答には「知っています/知りません」が使われ、「知っていません」と言わないのも注意すべきといえます。

 

 ここまではパッと思いついて、授業中に説明することができましたが、「わかっています」についてはどうにもわからない部分がありました。その場で思いついた例は「地球は1年かけて太陽の周りを1周することがわかっています」というような「すでに一般化された発見」について述べる場合です。これは「深い理解」という意味と、「結果状態」を表す「ている」の用法とが重なったものですが、日本語教育的に考えますとそんなに使う用法ではないかなという印象があります。

 これをもっと日常的な会話に落とし込みますと、「はい、わかっています」は何かちょっと喧嘩腰というか、「それくらいのことはわかっていて当然なのだから、いちいち言うことないだろ」というような語気を帯びているように感じます。「すでに」という側面が強く押し出されるということでしょうか。

 こうした論述、「印象を受ける」とか「感じる」という書き方をするのは、論者のエゴイスティックな感覚にしか依っていないという意味で分析としては甘いです。ちょっと今は資料も時間も不足しているのでできませんが、帰ってからコーパスなどを駆使して綿密に調べてみたいものです。

 

 

・着る、はく、かぶる、つける

 これもけっこう基本的な問題ですが、そもそも「シャツを着る」「ジーンズをはく」という時点で英語にはない複雑性を要しています。このあたりは腰から上か下かという区別が可能ですが、アクセサリーについてはそれぞれのアイテムに特有の動詞があったりするので困ります。

 「帽子:かぶる」「時計:はめる」「眼鏡:かける」は分かりやすいと言えば分かりやすいですが、時計については「する」も可能です。それからイヤリングとかヘアピンといった小さいアイテムは「する」も「つける」も大丈夫な気がします。

 先生から聞かれてしまったのは、「スカーフ」「入れ墨」「ネックストラップ」です。「スカーフ:巻く」かと思ったのですが、巻かずにただ首にかけている場合はなんといえばよいのでしょう。「入れ墨:する」でよいでしょうか。「入れる」では「入れ墨」とダブりますかね。「ネックストラップ」は「かけている」だけでいいでしょうか、「首にかけている」とったほうが適当でしょうか。

 時計にくわえて手袋や指輪も「はめる」ですが、靴下はなぜ「はく」なのでしょう。「はめる」には「ぴったりと」という語気があると思いますが、例えば五本指靴下でも「はめる」は言えないわけですし、なぞは深まります。(手に使う、というのもちょっと躊躇われます)

 更には、「とる」と「はずす」の違いも僕にはまったく説明できないのでした。

 

 基本的なことこそ何より難しいですし、ちょっと立ち止まって考えてしまいますと余計に混乱してしまいます。ただ、一度調べてそれなりに納得できたとすれば、その後は自分の知識として大手を振って使えますので、大きな財産となることでしょう。