読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間派遣予定。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

滞在143日目:日本語クエスチョン⑤

 授業といいますか、やはり先生によってスタイルが違いますので、僕こと日本語パートナーがアシストできる(すべき)割合もまたそれぞれに異なってきます。

 ある授業では、僕にもプレゼンの機会をくださっていまして(諸々の事情でほとんど活かせませんでしたが……)、さらには僕の友人で中上級のクラスにいる学生のために模擬授業の枠を設けています。この日のテーマは「~ても」と「~することにする」でした。

 

 「ても」についてはさしたる問題もなく進行していたと思います。簡単に言えば「てform」に「も」をくっつければ文型になりますので、そこまでみっちり練習する必要ありませんし、何よりクラスの習得度でいっても『げんき』の2冊目が終わるところで苦労も少なかったわけでしょう。

 いままで認識していなかったこととしては、「ても」は「自然な流れ」の逆を示すということです。

(1)台風でも授業はあります。

(2)勉強しても点数がよくなりません。

(3)暑くてもクーラーを使いません。

(1)であれば「台風」なら「授業」がなくなるのは適当ですし、(2)なら「勉強して」「点数」が伸びること、(3)なら暑いときに「クーラー」を使うことを当然とみなす素地が予めあるわけです。強いて逆を示すとすれば、代わりに「たら」をつければよいでしょう。英語だと”Even”が訳としては近いですかね。

 

 問題はその次の「~することにする」です。

 まず辞書形のままですと、これは発話時点における決断を意味します。

(4)明日は買い物に行くことにします

(5)明日は買い物に行きます。

(4)と(5)と、それぞれ単体で見ますと”I will go shopping tomorrow”といったところでしょうが、日本語の意味としては少し違いがあります。(5)は単に「明日」の予定を述べたものとして理解できる一方、(4)では発話時点(直前)において「買い物に行く」と決心させるきっかけが想像されるでしょう。例えば次のような文脈です。

(6) 「明日は映画を見に行きます」

   「明日、映画館は休みですよ」

   「そうなんですか。じゃあ、明日は買い物に行くことにします

つまり、前文脈において予定していなかったことを、発話時点において決心したという表明に使われると言えるわけです。

 ですから、以下のような文だとちょっと文脈がとりづらいのです。

(7)?明日の試験で頑張ることにします

(7)が成立するためには、話者がそれまで「頑張る」つもりでなかったのに、あるきっかけによって「頑張る」という決意をした、という流れがなくてはいけません。「勉強嫌いでやる気がなかったけど、90点を超えたらゲームを買ってもらえることになったので~」なら可能ですが、単に”I will do my best for the exam tomorrow”の訳としては使えないということです。

 

 また、僕の意見ですが「~することにする」は三人称を主語とする場合には用いることができないと思います。

(8)*ジョンさんは買い物に行くことにする

けっこうFatalに間違えやすい点ではないかと思うのですが、教科書『げんき』および手元にある参考書には明記されていませんでした。多分、「ほしい」とか「かなしい」のように心情を表す文型であるから、三人称には不適なのでしょう。(8)だと、あたかも自分のことを「ジョンさん」と呼んでいるかのような印象*1も受けます。

 ただ面白いことに、時制を過去にすると三人称でも許容できるようになります。

(8')ジョンさんは、買い物に行くことにしました

小説などで語りの文としてよく見られる形ですね。これが過去の決心を言及したものかというと微妙なところで、確かに意志としてはすでに固まった後ですが、ストーリーとか話の流れとしては「現在」といえないこともないと思います。

 

 それから、これを「~することにしている」としますと、これは習慣とか自分の中のルールを示す文となります。

(9)朝はコーヒーを飲むことにしています

(10)朝はコーヒーを飲みます。

習慣といいますと、普通は動詞の「ますform」で表されるわけですが、(9)と(10)とを比べますと、やはり違った印象を受けますね。(10)はただいつもしていることとして述べているのに対して、(9)では努めて(自分の意志として)「コーヒー」を選んでいる感じがします。裏にある文脈は、例えば「健康によいそうなので」とか「なかなか目が覚めないので」とか、何かしらの目的意識があっての習慣形成といえるかもしれません。

 

 どんな項目でもそうですが、日本語が外国語として教えられている環境を見、学習者が微妙に間違った文をつくるのを目の当たりにしない限り、こうした違い・制約についてはなかなか気づくのが難しいと思います。これを積み重ねていくことで、自分の頭のなかにより精緻な文法書が作られるような心地がします。

*1:自分のことを名前で呼ぶ例は漫画やアニメの世界には結構あるようで、パッと思いつくメジャーどころは『となりのトトロ』のメイ、『リロ・アンド・スティッチ』のスティッチ、『家庭教師ヒットマンREBORN!』のランボあたりでしょうか。どれも幼い役柄ですし、現実に見かける場合もほとんど子供による用例でしょう。ただし水木しげる御大は「水木サン」と自称していた記憶もあります。