日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間の活動を経験。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

街の人たちとのエピソード

 けっこう僕はいろんな人に話しかけられる質の男みたいです。「いろんな人」というのはつまり、僕のことを知らない街の人なのですが*1、こと海外ではそれが顕著に思われます。今までにも書いたことがありますが、ロンドンでは「一番近い駅はどこ?」「バッキンガム宮殿ってこれのこと?」とか、果ては「ねえあなたBritish? 『ネイバー(隣人)』ってイギリスではどう綴るんだったかしら?」なんて聞かれちゃったことまであります。その他の国でも「写真撮ってください」というのはよく頼まれました(これは単にカメラをぶら下げて歩いているからかもしれませんが)。

 突然話しかけてくるような輩はヤバいから無視したほうがいい、という声も特にフィリピン行とあってはよく聞きますが、でも僕としてはちょっとスリルを味わいながらも現地の人とお話をしてみたいという思いが強いのです。

 本当は1日ずつ書けばいいのでしょうが、たまってしまったので、この1ヶ月で思いがけず街の人と会話をしたエピソードをいくつか書いてみたいと思います。

 

  一番身近な話からしますと、僕の寮には24時間(たぶん)警備員がいます。出掛ける時には鍵を預けて、帰ってきたら声をかけて鍵を受け取る、というシステムですので、必然的に話しかける機会が多いです。もちろん1人でやっているわけではなくて4-5人はいるようなのですが、2週目あたりからみなさん僕の部屋番号を覚えて下さっていました。

 先週末あたり、そのうちのお一方が「君は……Mr……(名簿をめくる)chihariro, right?」と話しかけてくれました。やっぱりいくつになっても、名前を呼んでもらったり覚えてもらったりするのは嬉しいものですよね*2。その場で彼の名前も覚えて、握手を交わしましたので、たぶんお友達になれました。昨日の朝も彼が当番だったので名前と共に挨拶をしたら、ピザトーストを一切れわけてもらいました。食べものを分けてほしいとかじゃないけど、こういう関係って面白くていいなと思います。

 

 少し前、寮から車で20分くらいのところからタクシーに乗りました。運転手は普通に英語を話せる方でしたが、やたらと話しかけてくる方でした。というか労働する態度として考えたときに、日本ではまず考えられないような振る舞いをしていたのが印象的です。

 「ガスがないからちょっと入れて行くよ」はまだわかります。日本のタクシーでもたぶんあり得ることでしょう。でもその次に「俺、今日は君が最後だからさ、先に晩御飯買ってってもいい? 子どもが待ってるし、その方が早いからさ」と言われたのはちょっとびっくり。急ぎじゃありませんので一向に構わないのですけれども、お国柄があらわれますね。

 そういってジョリビーのドライブスルーへ。なかなか列が進まず「これじゃファストフードじゃなくてスローフードだね」なんてやりとりをしながら順番がやってくると、注文している合間にストリートチャイルドが花を売ろうとしてきました。いつも見かける白い花です。すると運転手「いや俺はいらないけどさ、今日できた日本人の友達に聞いてくれよ。なあBro、花買ってくれってよ」と僕に話を振ってきたのです。厄介ですので「いや僕だっていらないよ」とどうにか回避しました。「日本にもこういう子どもはいるのかい? 法律で禁止されてるとか?」と聞かれましたが、うまく答えられませんでした。

 無事食べ物を買った後で、ストリートチルドレンが揃って売っている花が「Sampaguita*3」と呼ばれていること、そしてフィリピンの国花であることを教えてもらいました。「匂い嗅いだことある?」「いいえ、ありませんけど」「そしたら買っておけばよかったのに」というやりとりは、冗談なようでいて、実は思い切り毒を含ませていたのかもしれません。

 

 もうひとつ、印象的だったのは学内で出会った初老の男性。

 日曜日の昼頃にモールへ出掛けようと学内の大通りを歩いていたら、大きめの声で男性が話しかけてきました。どうやらタガログ語でしたので「I cannot speak Tagalog」と言ったのですが、それでもタガログ語で話し続けてきます。少ないボキャブラリで推測したところ、「朝から何も食べていない。昼ごはんの分を恵んでくれ」ということが言いたいようでした。しかしあくまで推測ですのでじっと話を聞いていますと、「NO Tagalog?」と僕がタガログ語を解さないことにようやく気付きました。彼は一瞬考えたのち、「Give….money」とだけ言いましたが、用件が分かった僕としては、そっけなくノーと言ってその場を立ち去るしかありませんでした。

 このエピソードで僕がハッとしたのは2点あって、ひとつは大学内であってもこうした人がふつうに歩いているのだということ。いまひとつは貧しい立場と教育との強い連関です。とくに後者についていうと、いちおう英語が公用語として認められているフィリピンにおいて「I cannot speak Tagalog」というセンテンスを理解できない人がいて、その人が現に生活に困っているというのは象徴的だと思います。ここで僕がいくらかのお金をあげることは簡単ですが、それではなんの解決にもならないのだと改めて思いました。

 差別的と捉えられるかもしれませんが、あくまで私見ですのでご了承ください。

 

 とかくいろんな人と話をしてみるといろんなことが分かりますし、いろんなことを考える契機になります。危険な場合を見極めることはまず大切ですが、でもやっぱりそこらの人とはできるだけ話していきたいなぁと思っています。

*1:僕のことを少しでも知っている人は、どちらかというとあまり話しかけてきません。言葉に関わって生きているのに、どうにも言葉を扱うのは不得手なようです。社会言語学的な問題とでもいいましょうか。

*2:マズロー自己実現理論でいうところの「社会欲求」にあたるでしょうか。教育実習でも感じましたが、名前を覚えたうえで「呼ぶ」ということが信頼関係を築く上では非常に重要だと思います。

*3:和名はマツリカ。つまりジャスミンのことですね。あとから調べてわかりました。それなら僕の大好きな匂いのひとつです。