日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間の活動を経験。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

千野栄一『外国語上達法』等、モチベーションを上げる読書

 今日読み終わったのはこの本*1

f:id:chihariro:20160621013547j:plain

題名を見る限りあまりに安直。「こんなものを読んでコツが分かれば誰も苦労しない!」と僕もそう思いました。しかし、岩波新書についてご存知の方ならお判りでしょうが、このレーベルの黄色表紙は70年代~80年代に出版されたもので、本書の初版は1986年発行です。にもかかわらず帯が新しいのを見れば明白なように、この版(刷)は2010年の発行となっています。すなわちこの本はいわゆる「古典」として扱われ、いまなお読まれている著作=名著の可能性が高いわけです。逆に言うと「まだこれを読んでいなかったのか」というような本ではあるわけですが、どうかご容赦ください。

 

  本書は言語学を専門とする著者が、語学の得意な人はある種のコツを会得しているらしいと気づき、それを項目ごとにまとめあげたものです。項目は例えば「目的と目標」「語彙」「学習書」「発音」という具合に10挙げられ、それぞれ著者の身近な経験や実際の学習者の話が織り雑ぜられているので大変にわかりやすいです。

 この本の大事な部分は、別段特殊なことを言っているわけではない、ということです。こういうと語弊があるかもわかりませんが、コツとして話されているいくつかの点を引用してみます。

・外国語を習得しようとする場合、何語を何の目的で学ぶかをはっきり決めてかからないといけない(p.31)

・完全なる文法の知識を必要とするのはごく一部の専門家であり、外国語の習得を目指す数多くの人が必要とするのは文法の基礎的知識である(p.83)

・外国語の習得は始めたら規則正しく、たとえ短い時間でも毎日することが大切(p.199)

 どれもこれも今では(あるいは当時でも)極めてあたりまえの真理でしょう。しかしわれわれがこれを読んで考えなくてはいけないのは、「そのあたりまえのことを実行に移しているか」ということです。分かりきった事実がただあることと、それを人から言われる(あるいは本によって諭される)ことは大きな隔たりがあるのではないでしょうか。本書を読むことで、少なくとも僕は自身の怠惰な学習態度を自覚し、「よしやってみよう!」という強いモチベーションを得ることができたように思います。

 曰く「ある言語を学ぶときに、最初はやみくもに頻度の高い1000語を覚えろ」と。誰だって、単語がなくてはたとい文法マスターでも水一杯注文できないことはわかります。しかしそれを改めて、また面白く見事な具体例を提示しながら指摘されると、影響を受けやすい僕*2は至極納得してしまうのです。巻末で著者は「読み終わったらすぐに、勉強を始めてほしい」というような趣旨のことを言っていますが、さっそくタガログ語のテキストを引っ張って来て単語から覚えていこうともくろんでいます(すでに怠惰が顔をのぞかせている)。

 逆に、外国語*3の習得におけるよいプロセスを知っていれば、おのずと教師としてすべきことも見えてくるのではないでしょうか。実は本書には「教師」という項があり、必読に値する部分かと思いますが、教師の資質について「その言語がよくできること」「教え方が上手なこと」「熱意のあること」の3点が挙がっています。細かい点は是非お読みいただきたいですが、ハッとさせられる部分も多いです。

 他にも「発音」の項では"rice"と"lice"との区別が必要となる場面とか、「レアリア」という項では広義のレアリア*4についての具体例が挙げられたりとか、ともかく楽しく読める本でした。外国語に限らず、勉強全般について悩んでいる方なら考えるところが多い名著かと思います。

外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)

外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)

 

 

 

 ということで本書を読んですっかり学習意欲が上がった次第なのですが、僕は情報を得る以外にも、モチベーションを上げるためだけに折を見て読み返す本がいくつかあります。例えばこれ。

f:id:chihariro:20160621022754j:plain

これ以上ないくらいインパクトの強いタイトルです。なぜかネットではとんでもない古書価がついていたりしますが、ある層の方々には有名な本みたいです。

 あまりに広範な言語を目標としているという意味で、この本の主張は『外国語上達法』の真逆を行っているような感があります。これを書いた種田氏はバイタリティあふれる人物らしく、テキストや教材のなかった当時の世(種田氏は1939年生まれ)において、未習の語の話者を見つけ出してはテープレコーダーを担いで録音を頼んだり、文通がしたいからといって現地の新聞に投書をしたりするほどです。しかし今読み返すと、語学習得にはやはり入門書が良いとか、最初は単語数1000~1500くらいがいいとか、『外国語上達法』と近いことを言っているのがわかりました。

 この本がどこまで真実を描写しているのか僕にはわかりません。ただ20ヵ国語全部が同じ程度に「ペラペラ」ではないにしても、そのほとんどを相当な水準で運用することができるほどの才能があったことは確かだと思います。僕にとっては「ここまではいかないにしても、人間やればここまでできるのか!」という、強い励みになっている本です。

20カ国語ペラペラ (1973年)

20カ国語ペラペラ (1973年)

 

 

 

 もう1冊。漫画ですし、ちょっと趣旨が変わりますが。

f:id:chihariro:20160621025506j:plain

ご存知『天才 柳沢教授』シリーズの、これはベスト盤です。いまさら言うまでもありませんが、Y大学で教鞭をとる柳沢教授は英語もドイツ語も堪能で、文学の素養も持ち合わせている経済学者。その彼の周りも非常に優秀な人が集まっているわけですが、その人間模様を描いた短編作品です。なんていう説明で魅力が伝わるとも思えませんが、このシリーズを読むにつけても「俺はこの境地に至っていないな。もっと頑張らなくては」と思うのです。もちろんヒューマンドラマとしても傑作です。

天才 柳沢教授の生活 ベスト盤 The Blue Side (講談社文庫)

天才 柳沢教授の生活 ベスト盤 The Blue Side (講談社文庫)

 

 

 

 こうして並べてみると、まるで自分がコンプレックスを抱いているような錯覚に陥りますが、少し違います。自分より優れた、時として尊敬に値する人を見たときに、「こうなりたい!」というバイタリティにつなげるということが、たぶんなにかを成し遂げる時には重要ではないかと思うのです。そこで「俺は俺。こんなもんでいいんだ」と思うのは勝手ですが、それ以上の飛躍的な進歩は望めないでしょう。上ばかり見るのがいつでもよいかというと違うかもしれませんが、それくらいのハングリー精神はあってもいいのではないでしょうか。

 長くなりすぎましたね。やっぱり一度に掲載する本は1冊にしたほうがまとまりがよさそうです。次からは意地でも分割します。

*1:ところで、僕がしつこく書影を載せているのは、やはり本について語るとき或いは知るときに、外装の情報は欠かすことができないと思うためです。逆に言うと、表紙の感じさえなんとなく分かっていれば、題名や著者がうろ覚えでもなんとか本屋で見つけ出すことはできます。著作権を侵害するつもりは毛頭ありませんが、もし問題あれば一括して画像を削除する所存です。

*2:悪い意味での影響はあまり受けませんが、ある種の「かっこよさ」を目の当たりにするや否や「俺もやってみよう!」と思うことは今までに多々ありました。大抵は大成しないのですが、フルートとか剣道も実はそうですし、もっと細かくはルービックキューブとか円周率100桁暗唱なんてプチ技も、他の方の影響によって始めたものです。

*3:「外国語」という表記はあまりされなくなりました。国際化が進んで、必ずしも籍を置いている国の言語(母国語)が「第一言語」とは限らない、という事例が増えたことに起因しているのではないかと思いますが、ともかく習得という観点では「第二言語」というのが一般的な感じがします。

*4:狭義のレアリアは、語学を教える時に用いる、新聞とかメニューとかの実物教材のことです。