日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間の活動を経験。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

橋本陽介『日本語の謎を解く』

 現在準備期間中なわけですが、できるだけブログは更新しようと思っています。といって、無駄に僕の日常なんか語っても仕方ありませんから、そのために毎日1つのトピックを構築できるよう勉強するつもりです。本来順番が逆(ブログのために勉強するのではなく、勉強したことをブログに書くべき)ですが、こうでもしないとぐうたらしそうで恐ろしいのです。

 ちょうど今日は、表題の本を読み終わったので、そこから得た知見をまとめておきます。

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(書影については僕が自分でスキャンしたものなので、反射とか折れとかはご海容ください)

 

 

 本書は4月に出たばかりの本で、著者が高校生から受け取った「ことば」についての疑問を解消していくという趣旨です。橋本氏は中国語の研究をしているようですが、曰く「ほぼ独学で7ヵ国語を習得した」そうで、対照言語的*1な分析も多く取り入れられています。

 「最新言語学」とは銘打っていますが、あくまで体裁は一般書ですので、あまり理論的に深入りはしていない感じがしました。従って若干の物足りなさ、「ここはもっと論究が欲しい」という箇所もあるものの、日本語に関する問題を73も取り上げているというだけで読む価値があるかと思います。

 概略について書いても仕方ないので、日本語教育に関係しそうな話題をいくつかとりあげてみます。

 

①「こおり」と「どうろ」

 日本語は、文法規則だけみれば特別難しい言語というわけではありません。実のところ、SVO構造の言語よりもSOV構造の言語の方が多いと言われているくらいです。しかし、文字表記を加味すると*2これだけ難度の高い言語は稀だと思います。表音文字だけでも「ひらがな」「カタカナ」が混在し、日常生活では表意文字たる「漢字」を使わないわけにはいきません。この書き分けが学習者を悩ませるというのは想像に難くないでしょう。

 で、上記の画像に示されている問い、「『氷』は『こり』なのに、なぜ『道路』は『どろ』なのか」ですが、本書によれば、発音の仕方が変わっていったことに原因があるそうです。そもそもこの問いが定義される理由は、我々が両語を発音するときに同じ音として口に出しているためです(「コーリ」と「ドーロ」)。「お」と表記される語は、かつて「ほ」と表記されていたもので、「こほり」「おほかみ」の表記通りに発音されていました。それが次第に「オ」と発音されるに至った*3という経緯です。逆に、「う」と表記される語については、その直前の音がオ段音ではなくア段音だったようです。従って元は「だうろ」「わうさま(王様)」となっていたのですが、日本人は二重母音が苦手だった*4ため「どうろ」「おうさま」と発音するようになった、とのことです。

 元の表記を見ればわかるように、日本語には元来「長音」がありませんでした。発音・表記に2パターンあったものが、発音が同じになってしまったからややこしい問題になっているわけです。「英語と違って日本語は表記通りに発音している」なんて言う人もいますが、嘘八百。「~です」のように母音を落とすこともままありますし、問題のように長音として読むこともあります。こうした微妙なところを伝えるというのも、パートナーズの責務であり強みといえるでしょう。

 

②「は」と「が」

 日本語のもっとも難しく、またもっともありふれたテーマのひとつです。基本的なところですが、「が」が主格(動作の主体)を表す格助詞であるのに対して、「は」は副助詞とか係助詞に分類され、特定の格を示すものではありません。だからどうしたという話なのですが、本書では「私は食べた」と「私が食べた」の違いについて以下のような例が挙げられています。

(餃子を)食べた。

餃子は私食べた。     (p.142より)

 「が」は動作主ということでひとまずよさそうですが、ここでの「は」は主題を示すはたらきがあると説明されています。つまり1つ目の文では「私についていうと、餃子を食べました」というニュアンスとなり、2つ目では「餃子についていうと、私が食べました」という感じになります。よりわかりやすく言うと、1つ目の文は「あなたは何を食べたの?」の答えになり、2つ目の文は「あれ、餃子はどうしたの?」の答えになるということです。

 「は」と「が」についての特徴として、僕にとって新しい視点も書かれていました。すなわち「は」は対比的意味を伴い、「が」は排他的意味を伴うというものです。仮に「私――主役」という語を結ぶとします。

(1)私主役です。

(2)私主役です。

論理学的にはどちらも示している事実は変わりません(私=主役)。しかし、「は」の方では「私は主役で、Aさんは○役で、Bさんは……」というように、他の人と肩を並べている文脈が想定されるのに対し、「が」では「他の誰でもなくこの私が主役だ!」という具合に「私」が突出した主体として言及されているように感じられます。これをそれぞれ「対比的意味」「排他的意味」と呼んでいるわけですが、けっこうしっくりきていると思います。

 もっとも、「は」と「が」についてはそれだけで1冊本が出ているくらい*5なので、これだけですべてが解決するというわけでもありません。けれどもやはり、こういう問題ってそもそも考え付かないことのほうが多いですから、アンテナを伸ばしておくことの大切さを痛感します。

 

③「赤い」「青い」「緑い」?

 日本語には、色を表す言葉が比較的多いような気がします。おそらく着物の合わせによるところが大きいのでしょうが、しかしそれがイ形容詞になるか、というと話は変わってきます。

 著者曰く、古来日本には色を表す言葉として「赤い」「青い」「黒い」「白い」しかなかったのだとか。他に「い」がつく「黄色(い)」と「茶色(い)」については、「よく使われたためか、「い」がつくようになったのでしょう」との分析をしています。これはちょっと無理があるような気がしていて、著者も言うように「茶色」はお茶から来ていますし、よく使われることが想像できますが、「黄色」ってそんなに使うでしょうか。「金色」のことだとしても、そんなに馴染みのある色とは僕には思えません。

 「緑い」と言わない理由については、"i"の音が重なって言いにくいからだ、というのは尤もだと思います。僕としては「紫い」「オレンジい」より「ピンクい」の方が許容度が高いように思いますが、そう考えると合点がいきます。

 

 

 ごくごく一部について、思うところを書いてみました。少しでもこうやってまとめてみるというのは、自分にとってみても勉強になりますね。記事を書くにあたって、本書以外の日本語学の本も参考にしましたし、その過程で新たな発見もありました。

 とかくいろいろな問題について考えられるという意味で、おすすめの1冊です。

 

日本語の謎を解く: 最新言語学Q&A (新潮選書)

日本語の謎を解く: 最新言語学Q&A (新潮選書)

 

 

※なお、今後とも本を紹介する際には、便宜上「Amazon.co.jpアソシエイト」を用いてリンクを貼っておきます。価格だとか他の方の評価をご覧になりたい場合はご参照ください。

*1:2つ以上の言語を比べることでそれぞれの特徴を明らかにする方法を「対照言語学」といいます。よく「比較言語学」と間違える方もありますが、「比較――」は複数の言語の比較を通じて「語族(言語の系統)」や「祖語(言語の起源)」を探る学問なので、だいぶ異なります。

*2:もともと言語学では、言語の本質は音声言語だとみなす傾向が強いようです。文字を持たない言語もざらですからね。

*3:語中のハ行音がワ行音化するのを「ハ行転呼音」と呼びます。

*4:卑近な例では「帰る」を「けーる」と発音するのも同様の現象だと思われます。

*5:研究対象としてはおもしろいということです。本書でも触れられている「ウナギ文」も、考えるほど楽しい問題です。