日本語パートナーズ記@マニラ

日本語パートナーズ フィリピン3期として9カ月間の活動を経験。大学では国語学を専門にやっていましたが、キャリア的には背水の陣。

研修7日目(休):あこがれの地へ

※休日の旅行記です。趣味の記で、あまり勉強になるような内容ではございませんので、あしからず。

 日曜日は終日休みです。せっかく関西へ来たので、いろいろと観光をしておきたいところ。この近くだと大阪はもちろん、京都奈良へのアクセスも片道2時間かからないくらいなので、割と選びたい放題なのです。

 日本文化として考えると京都へ行っておきたい感が強いのですが、フィリピン派遣のメンバーでツアー的なものを設けようという話があったりなかったりしたので、個人旅のリストからは除外しました。

 で、結局今日の行き先として決定したのは、兵庫県宝塚市

 目的は歌劇観覧にあらず、「手塚治虫記念館」です。

  僕が手塚を意識し始めたのは小学4年生くらいのころだったでしょうか。ブラックジャックの「命をめぐる4つの奇跡」を偶然目にして心打たれ、手塚漫画を読み漁るようになりました。おまけにその影響で将来の夢が考古学者から医者に変わりましたから、当時の僕にとってはセンセーショナルな出会いだったといえます。

 いろいろ現実を見て、医者は自分にふさわしくないと気づきましたが、今なお手塚漫画は敬愛し続けています。日本の漫画の原型を作った『新宝島』『ロストワールド』なども面白く、後期作の「ドン・ドラキュラ」とか「ミッドナイト」「七色いんこ」のような短篇も読みやすくて大好きです。

 当然、評伝などで手塚が宝塚に暮らしていたことも知っていましたし、手塚治虫記念館の存在も知っていましたが、ずっと東京に暮らしてきた僕にとって、関西はあまりに遠い世界でした。そもそも国内を旅行する機会もありませんし、そのためだけに兵庫を訪れるのも無謀と言うものです。

 よって今回の宝塚行は、僕にとってまさに夢のようなお出かけでした。

 

 JR宝塚駅を降り、「花のみち」を抜けてまっすぐと進んでいきます。宝塚大劇場小林一三胸像を尻目にひらすら進むと、上方に虹色を配した円筒状の記念館が見えてきます。入り口には火の鳥が、神々しい輝きと共にお出迎えしてくれています。

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 展示はだいたい、手塚治虫の軌跡を紹介するかたちで構成されています。漫画を描き始める前に作った紙芝居とか、母親がページの隅にパラパラ漫画を描いてくれた本だとか、創作ノートだとか、「よくこんな資料が残っていたな!*1」と思わずにはいられない貴重な品の数々です。入り口近くには、なかなかまとまってはみられないキャラクターグッズがずらり。どれもこれも愛らしく、どうにかして集めたいと思ってしまいました。

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 2階へ上がると企画展示室があります。今は「手塚治虫のヒロインたち」と題して、時代によって手塚の描くヒロイン像がどのように変化していったのかを見られるようになっています。ヒロインにも色々種類があります*2が、それを変遷(時期によって変わる)ととらえる視点は新しかったですし、改めて各キャラクターの原画を見ていると、読み返したい気持ちが沸き上がってきます。特に見返したくなったのは『火の鳥』です。よくよく考えれば、最後に呼んだのは小学校3年生のとき。手塚作品としてそこまで意識はしていませんでしたが、熱中して全巻読破した覚えがあります。さすがに話を忘れているので、落ち着いたら買いそろえたいです。

 館内には小さなシアターもあり、ちょうど上映時間だったので短編アニメを見ることができました。「オサムとムサシ」という題名の作で、時代は戦時下。漫画を描くことを咎められたオサム少年が、捕まえた虫(たぶんオサムシ)との交流を通じて、平和と人間の存在とについて考える、というストーリーでした。絵は明るくよく動きますし、音楽も実によかった*3です。しかし、何かストーリーがパッとしないのです。話の内容には触れませんが、どうにも後味のよくないというか、手塚らしからぬ暗さがにじんでいました。絵柄的には80年代後半っぽかった*4ので、手塚が関わったかどうか怪しい時代だなぁと思ったら、原作・監督ともに息子の手塚眞でした。

 

 

 記念館については以上です。正直言って、みるものの多い場所とはいえませんし、万人受けする展示とも思えません。しかし手塚のファンを名乗る人であれば、これほど充実した展示もそうそうあるものではないと明言しておきます。

 おまけとして、こんなものを購入しました。

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セブンイレブンnanacoカードですが、ご当地の柄があるのは知りませんでした。直前にネットの情報を見て、柄が手塚とあっては兵庫のセブンに行かねばなるまいと思い、記念館の後で探し歩きました。店員のおばちゃんに「手塚治虫nanacoください」と言ったのですが通じなくて、「これですよ、これ」と張り紙を指さしたら「ああ、アトムのカードね」と。やっぱりアトムが一番有名ということなんですね。

*1:同じ漫画家でも、水木しげるは習作時代の作品が残っていないと嘆かれています。特に、紙芝居作家の時分に描いたものは確か現存が確認されておらず、全集の監修者であり水木研究者でもある京極夏彦氏が血眼になって探しているとか。手塚の作品でも散逸したものはあるのでしょうけどね

*2:一番は決められませんが、僕は『三つ目がとおる』の和登さんとか、『ドン・ドラキュラ』のチョコラとかが好きです。後期作に固まっていますから、やっぱり絵柄にひかれている部分が大きいかもしれません

*3:あとで調べたら、先日亡くなった冨田勲によるものでした。

*4:製作年は調べてもわかりませんでしたが、記念館での放映開始が94年らしいので、あながち悪い推測でもなさそうです。